Kamonoha World

日々の研究や日常の一部、読んだもののノート的なものです。メタ倫理学が中心です。

Mark Schroeder 'Having Reasons' Philosophical Studies, 2008 

*日本語における表現としては、「理由がある」という、there is a reason to phi の言い方が一般的だろうか。「僕には理由がある」とは言うが、「僕は理由を持っている」とは言わないだろう。

何かを持つという場合の2つのケース

①オペラのチケットを持っている→誰かが、その誰かとは独立した何かを、所持しているということ。

②ゴルフパートナーがいる→その人とある人がある関係にある、ということ。

倫理学における行為の理由や認識論における証拠は、①と同種として捉えられることがあるが、これは誤り、というのが本論文の主旨。シュローダーの狙いとしては、認識論の話は20世紀後半から隆盛をほこる認識論的外在主義や選言主義(disjunctivism)の問題も浮き彫りにするというもの。

ダンスパーティーの例:ルーニーはダンスが好きだが、ブラッドリーは大嫌い。2人は知らないが今夜実はダンスパーティーがある。今夜ダンスパーティーがあるという事実は、ルーニーにとってはそのパーティーに行く理由だが、ブラッドリーにはそのような理由はない。さて、このケースでルーニーに理由がある、もしくはルーニーが理由を持つというのは、彼がオペラのチケットを持っているという保持とは異なるものだろう。むしろ、彼にはゴルフパートナーがいるといった、彼とこの事実の間に理由に関する関係が成り立っていると考えるべきだろう。Schroederは、ルーニーには客観的な意味で理由があるとする。一方で、ルーニーとは違いパーティーがあることを知っているフレデリーには、主観的な意味で、パーティーに行く理由があるとする。

このような整理をして、ルーニーとフレデリーにはパーティーに行く理由があり(there is a reason for Ronnie and Freddie to go for a party ブラッドリーにはそのような理由はない)、フレデリーだけがそのような理由を持っている(Freddie has a reason to go for a party)、とまとめる。

この整理が含意するところは、ある人がphiする行為を持っていたとしても(主観的な理由)、その人がphiする理由がない(客観的な理由)場合もあるということ。ちなみに、Schroederはこの理由に関する区別を、理由という言葉の意義の違いであると考えていて、形而上学レベルでは考えていない様子。彼が行っているのは、there is a reason, she has a reason, this is a reason for her, he acts on that reason, he acts for that reason などの言葉で表現されるものが何を意味しているのかということ。SchroederはDancyもこのように理由に関する意味論のレベルでは2つの意味・意義を認めると会話の中で話していたと述べている。

Schroederは客観的な理由と主観的な理由は全く違う種類の関係であると考えているようだが、Williamsは2つが同種のものであり、ヒューム主義者は前者についても説明を与えることができる、と考えていたことを批判している。

さて、理由に関する議論を行った上で、これと同じような問題が認識論においても見出せるとSchroederは言う。Schroederが行う重要な提案は、認識論で議論される証拠も理由の一種であるという考えだろう。彼は、証拠は信念のための理由であると考えている。この考えから、同じような問題が認識論においても見出せると主張する。ビリーがpであることを示す知覚を得ていたとして、このことを、ビリーがpである証拠を持っていると言うこともできるし、もしpが真であった場合、ビリーにとってpであると信じる証拠があると言うこともできる、ということか。