Kamonoha World

日々の研究や日常の一部、読んだもののノート的なものです。メタ倫理学が中心です。

'Supervenience in Ethics' in Stanford Encyclopedia of Philosophy, Tristram McPherson, 2015

付随性(supervenience)は形而上学において通常あるクラスの性質間の関係に関する考えとして理解されている(as relations between pairs of classes of properties)。A-性質の変化はB-性質の変化がなければ起こらない場合、A-性質はB-性質に付随すると言われる。

付随性は以下の3つの特徴を持つ共変性(covariance relations)であると考えられている。

再帰性(reflexive):全てのクラスの性質はそれ自身に付随している。

推移性(transitive):AがBに付随し、BがCに付随するのであれば、AはCに付随する。

対称性(non-symmetric):付随性は、対称性とも非対称性(asymmetric)とも両立する。

倫理的性質の付随性を巡る問い:

①どのような性質が倫理的性質に付随しているのだろうか?自然的性質?記述的性質?非倫理的性質?

②付随性はどのような様相・必然性を持つのか?この世界と同じ自然法則が成立している世界でのみ成り立っているのか?それとも、形而上学的、概念的、規範的に可能な全ての世界で成り立つものなのか?

③付随性は性質間に関する形而上学的な主張として捉えるべきか、それとも我々の態度に関するものとして捉えるべきなのか。

①について:

自然的性質に付随?→そもそも自然的性質をどのように特徴づけるか、議論が分かれる。また、超自然的性質との関係によって状況や行為の倫理的性質が変化すると考える人にとっては、自然的性質が全く同じであったとしても倫理的性質に変化があるので受け入れられない。

非倫理的性質に付随?→倫理的性質を自然的性質に還元しようとする論者はこの提案を受け入れられないかもしれない。

(価値的述語と記述的述語を区別し、後者によって指される)記述的性質に付随→価値的述語によって言い表される状態と記述的述語によって言い表される状態には差はない(Jackson 1998)。問題点:言語表現に限界、制限がある場合、同じ記述的述語で表された状態にも倫理的差異がある可能性がある。

②について:

個別的付随性(individual supervenience):ある対象xが倫理的性質を持つケースを考える。

世界的付随性(global supervenience):可能世界間の倫理的性質について考える。

個別的付随性の強い付随性のテーゼは、世界的付随性も、個別的付随性の弱い付随性のテーゼも含意していると考えられている。

強い付随性と弱い付随性の違い:全ての可能世界においてか、それともある可能世界の中だけの関係か、の違い。例:強い付随性であった場合、もし正しさが幸福の増進に付随するのであれば、全ての可能世界でそれが成り立つ。一方で、弱い付随性であった場合、ある可能世界ではそれが成り立つが、他の可能世界では正しさはカント的な人間性原理が充たされている状態であることも可能。

必然性の種類:論理的必然性、概念的必然性、法則的必然性(nomic necessity)、形而上学的必然性、規範的必然性

倫理の付随性は概念的必然性?→我々は2つの行為の倫理的レベルで違いがあることを考えるに際して、それが付随している性質の違いを考慮しなければ、考えることができない(concerivability)

(倫理的実在論に対する)付随性からの論証(Blackburn 1984)

前提1:概念的必然性としての倫理的性質の付随性テーゼ:もし二つのものがもつ自然的性質が同一であった場合、二つが持つ倫理的性質も同一である、とすることが概念的必然性である。

前提2:行為の自然的記述が概念的に自然的記述を含んでいることはない。

前提3:AがNという自然的記述を持ち、かつ、Eという倫理的記述であった場合、BがNを持ち、かつ、Eを持たないということは、概念的不可能である(前提1より)。

前提4:NかつEであるということと、NかつEでないということは、概念的可能である(前提2より)。

前提5:(1)AがNであり、かつ、Eであることと、(2)BがNであり、かつ、Eでないことは、概念的に可能である(前提4)。

前提6:(1)と(2)が同時に真であることは概念的に不可能である(もし(1)が真であれば、(2)は偽になる、「混合世界の禁止」(the ban on mixed worlds))

結論:(自然的性質から独立して存在するような)倫理的性質は存在しない。

もし倫理的性質が存在するのであれば、たとえば「悪い」という言葉は、そのような道徳的性質を名付けているということになる。しかし、もし前提2が受け入れられるということになると、どのような自然的性質にも悪いということが結び付けられるということになってしまう。しかし、そのようなことは認められない(前提6)。もし、倫理的性質なるものがあるのであれば、このことを説明できないのではないか。

様々な返答:倫理的性質と自然的性質間の概念的必然性を否定する、両者の付随性を否定する(自然的性質ではなく、非倫理的性質への付随として考える、など)、前提2を否定する(Jacksonなど)、Blackburnが考えているように非認知主義者がこれについて良い説明を持っていることを否定する、など。

還元への論証(Jackson, Kim, Brown, Streumerなど):

(1)倫理的性質の自然的性質への付随性は、両者の外延が必然的に同じであることを含意している(necessariliy coextensive)。

(2)外延が必然的に同じである性質は同一の性質である。

(3)倫理的性質は自然的性質である。

還元主義者による付随性の説明:

①もし倫理的性質が他の自然的性質と同一ならば、なぜ付随性が成り立つのか、割と簡単に説明できる。自然的性質に変化があるということは、それと同一である倫理的性質にも変化があることは自明。

②要素主義的(essentialist, real definitions)な説明:もし倫理的性質に要素主義的な真の定義を自然的性質によって与えられるのであれば、付随性についても簡単に説明できる(ある対象の自然的性質が変化したということは、その対象から倫理的性質は失われることになるはず、その自然的性質が倫理的性質の要素なので)。

自然主義者は付随性を説明することができるのか?:倫理的性質と自然的性質の関係を一種の基礎づけの関係と考える。基礎づけの関係を要素主義的に考えると還元主義になってしまうので、この関係を説明するのに形而上学的に、もしくは規範的に、最も基礎的な法則(metaphysically fundamental laws, Moorean connections)に訴える(Scanlon 2014)。もしこのような基礎的な法則が、他の形而上学的説明にも認めらるようなものであれば(Kment 2014)、このような方向性も見込みがある。

*Enochの非還元主義者による付随性の説明(2011):個別的な付随性は一階理論が示す道徳の法則に訴えることで説明できる。一般的な付随性は概念的な真理として理解し、それ以上の説明はないものと見なすことができる。

付随性が哲学的な議論の中でそれほど重要でないのではないかとの主張:

①厚い概念(thick concepts)に関して:厚い倫理的性質は自然的性質に付随しないかもしれない(Dancy 1995)、付随性と還元性が違うものとして扱われるのであれば、倫理的性質と自然的性質がかなり強固な形で区別されなければならない。そのためには説明的に重要な役割を持つ自然的性質に焦点をあてて付随性を考える必要が出てくるが、厚い概念を巡る例はそのように考えた時に倫理の付随性を疑わせる(Griffin 1992)。

②付随性がそもそも真であるのかという問い:付随性に逆らった考え方はできないかもしれないが、それが実際に付随性に逆らうことが不可能であるとすることには問題がある。我々がそのように考えられないのは、そのように考えることに強い抵抗があるからかもしれない(Hills 2009)。

③付随性は真かもしれないが、このことからそれほど重要な哲学的含意を導き出すことはできない:倫理的性質が何に付随するのかコンセンサスが形成できないということは、付随性から議論することは不毛であるということを示している(Sturgeon 2009)。