Kamonoha World

日々の研究や日常の一部、読んだもののノート的なものです。メタ倫理学が中心です。

Neil Sinhababu. Ethican Reductionism

*ニールさんとはイギリス、ニュージーランドの学会でお会いしたことがあり、いろいろとお話をすることができた。哲学を楽しんでる観が相当あるなあ、という方だった。お話をしていてかなり勉強になった。今はシンガポールだから、どこかで東アジアメタ倫理学研究会のようなものでもやれたらなあと思うのだが。

Sinhababuはコーネル実在論者のような総合的な自然主義的道徳的実在論者は、Railtonのような還元主義者になるべきだと主張する。

SinhababuはBrinkやSayre-McCordの議論を検討する中で、非還元主義者がしばしば訴える2つの論法について議論する。1つは多重実現に関する議論。もう1つは道徳的説明に訴える議論。

道徳的説明に訴える論法は、道徳的性質をFodor的な特別な科学(special science)の一種と見なし、それでしか説明できない経験的現象があると訴える論法。

この論法に対して、SinhababuはLeiterと同じ論法を展開する。即ち、道徳的説明に訴えない心理学的、社会学的説明の方が、良い説明になる、との論法を展開する。道徳的説明が真正な意味で説明的美徳を持っているのであれば、歴史の説明において「道徳的歴史学(moral historians)」のようなものが出現しているはず。だが、そのような動向は今のところない。説明的美徳にのみ訴えるこの論法が行き着く先は、道徳的性質は結局のところ科学史の中の燃素のようなものだ、という悲観的帰納法

この結論を避けることができるのは還元主義。還元主義は存在論的なコミットメントというレベルでは錯誤主義者と同じ。だから錯誤主義者による議論も退けることができる。

多重実現からの論法については以下のような議論を展開している。

①個別主義のような理論ですら、道徳的性質を実現する自然的性質の集合は有限な連言であるとする。

②特別な科学において想定されている性質は、無限の物理的な性質の連言によって実現するかもしれない。

③故に、道徳的性質は物理のレベルでは無限の多重実現が可能だが、特別の科学のレベルでは多重実現は有限。

④故に、道徳的性質は自然的性質の有限な連言と同一。(還元主義)

Sinhababuは道徳的性質は翡翠のようなものであり、自然種として扱われるべきではないが(xが自然種であるならば、xは科学的説明にとって欠かせないものということになる)、かといって、存在を否定されるものでもないと論じる。翡翠は自然種とは言えないが、翡翠のネックレスは存在するだろう。