Kamonoha World

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Michael Ridge. Anti-Reductionism and Supervenience. Journal of Moral Philosophy

非還元主義者の課題の1つ:道徳の付随性(supervenience)を説明すること.

*Enochは彼のような強固な実在論(robust realism)を受け入れても,JacksonやBlackburnによる付随性に訴える論法を退けることができると主張する.

Jacksonへの反論:性質の同一性の原理としての必然的な外延の一致(necessarily co-extensive)を拒否することができる(2011, p.138-139).[典型的な例:三つの角を持つことと,三つの辺を持つこと.道徳的な責務がかかっていることと,神が人間に指令すること.]これらの性質を同一のものとしようとする自然主義者の主な動機は不必要な理論的想定をしないため.Enochは,規範的性質は,我々が為すべき行為や信じるべきことに関して考えるのに(deliberate)不可欠なものであることから,その存在を認めることができると主張する.

Blackburnへの反論:個別の付随性については,法的な規範に訴えて法的な性質が自然的事実に付随することを説明できるように,道徳的な規範に訴えて個別の道徳的性質がある自然的性質に付随することを説明することができる.一般的な付随性については,まずEnochはここで問題となっている様相は概念的なものだとする(pp. 148-149).その上で,付随性は我々が道徳的語彙を使用する際に前提としている考えであり,それほど奇妙なものではないとする.

*FitzPatrick(2008)はBrinkやShafer-Landauの言うような自然的性質の例化による道徳的性質の例化の構成という考えに訴えることなく非自然主義は付随性について説明を与えることができると主張する.FitzPatrickは,日常的に示唆される個別的な道徳的事実すら,部分的には自然的性質によって構成されているが,自然的事実のみによって構成されているわけではなく,適切な善悪の基準に関する事実,我々の承認や否認などをそれに値するものにする(merit)ことに関する事実,などの非自然的事実によっても構成されている(p.190).ところが,FitzPatrickはこのような強固な非自然主義も付随性を説明できるとする.それは,このような非自然主義は,道徳的性質・事実が部分的には自然的性質によって構成されている,という考えを持っているから.FitzPatrickによると,ある倫理的事実が自然的事実x、y、zによって部分的に構成されていて、このx、y、zが悪さのための基準を満たしているという非自然的事実があって始めて倫理的事実が成り立つ.だとしても,この事実が善悪の基準を満たしているか否かということは,この事実がx、y、zという自然的事実を満たしているか否かのみによっている.だから,もしx、y、zに変化があれば,その事実の倫理面も変化する,という付随性を確保することができる.

FitzPatrickの戦略は,結果的基盤(the resultance base)が完全であることと(それは自然的事実のみで完全でありえる),その結果的基盤のみが結果的性質(道徳的性質)を排他的に構成する(exhaustively constitute)ことは違う,ということを明確にすること(p.192).

FitzPatrickはグローバルな付随性の原理についても非自然主義によって説明しようと試みる.FitzPatrickによると,AとBという世界において自然的性質が全く同じように例化している場合,それらの自然的性質によって非自然的な倫理的性質が例化することは形而上学的な必然であるため,同じような倫理的評価を受けることになるとする.ここでFitzPatrickは主張していることは,倫理的性質は道徳的性質と必然的に外延が一致する,ということ.そうであるならば,Jackson流の反論が予想される(p.198).FitzPatrickは必然的に外延が一致する性質は同一であるとする考えを拒絶し,Jacksonの反論を退ける.

ちなみに,FitzPatrickは自然的性質が道徳的性質を定着させる(fix)としても,なぜそのようなことが起こるのか,形而上学的な説明は与えられないとする.その説明は,非自然的な倫理的事実(善悪の基準など)に訴えなければならないとする.この説明は,(いわゆる基礎づけを巡る議論で言われているような)含意関係(entailment)だけでは明らかにできないもの(p.201).強固な非自然主義のみがこのような規範的説明を与えることができるとして,たとえ道徳的性質が非道徳的性質と必然的に外延が一致するとしても,非自然的な道徳的性質の存在を認めるべきと主張する.

Shafer-Landauは道徳的性質の例化は自然的性質の例化によって構成される(constitution)としている.この形而上学的な想定に基づいて,Shafer-Landauは道徳の付随性を説明しようと試みる.RidgeはShafer-Landauの提案は付随性の説明に失敗しており,さらに,提案そのものは様々な問題を抱えていると主張する.

付随性からの論証:規範的な違いは非規範的な違いがなければ起こらない.その意味で,規範なものは非規範的なものに付随している.そしてこの付随性は一種の必然である.では,このような付随性があるにも関わらず,規範的性質が非規範的性質とは違う独自のもの(sui generis)な,還元することができないもの,と主張することができるのだろうか.

*Brink(1989)による同一性と構成の違い

Brinkは自然主義者の特徴づけについて,自然主義者道徳的性質を自然的性質だとすると述べる.その上で,この主張は,道徳的性質が他の自然的性質と同一であるという主張と,道徳的性質が他の自然的性質のみによって構成されているという2つの形態を持つことを指摘する(pp. 156-157). 

同一性について,Brinkは,二つの述語が同じ性質を指していた場合,2つの語で表される性質が同一であるとすることができると述べる(p. 157).また,同一性が求めるものは,必然性である,と述べる.つまり,道徳的性質が他の自然的性質と同一であるということは,2つの性質に対応する語によって指される性質が,必然的に同じものである,ということだ(p. 157)[ここでBrinkが述べているのは必然的な外延の一致だと思われる].

Brinkは同一性は構成を含意すると述べる.だが,構成は同一性を含意しないと述べる(p.157).ここでBrinkは多重実現に訴える.ある性質の例化がもう一つの例化を必然的に実現したとしても,後者が他の性質によって実現される場合があるのであれば,両者は同一とは言えないと主張する(pp. 157-159).また,選言的性質は真正な性質ではないことにも言及している(p. 159, reference Armstrong 1978, pp. 19-23,Armstrongは後の本でも選言的普遍を否定している.Armstrongの議論は,選言的性質を許すと,明らかに違うものを同じものだと見なさねばならなくなり,これは受け入れられない,というもの.また,性質と因果的力能の関係に訴えて,選言的性質によってある対象が因果的性質を持つとは考え難いと論じる,1989, pp. 82-83)[これはJacksonの論法への反論の布石になる].

Brinkによる付随性への対応(p.160-):道徳的性質が自然的性質によって構成されているということになると,道徳的性質が自然的性質に付随していることは説明される.Brinkは自然的性質による道徳的性質の構成という考えに訴えて,強い付随性も弱い付随性もどちらも説明することができると述べる.

Brinkの非自然主義の理解:非自然主義は,道徳的性質は自然的性質によって構成されて成り立つものではない,との主張(p. 163).だから,非自然主義者は道徳的性質が独自のもの(sui generis)だと主張する(p. 22).

Ridgeが問題にする付随性:次のことは必然である;2つの可能世界が自然的性質に関して差異がないにも関わらず規範的性質の差異があるということはない.

Sturgeonによる付随性に訴える論証への反論に対して:付随するものに関する選言が許されれば(非規範的性質,もしくは,記述的性質),退けられる.

付随性に関する主張がア・プリオリであり分析的であるということについて:他の付随性に関する主張はア・プリオリではない.多くの人はむしろ心的状態が物理的状態に付随するとは考えていない.このことは,規範の事例において,規範以外の事例と同じことが言えないということを示唆するかもしれない.

道徳・規範の付随性が分析的であるということになれば,道徳の付随性を説明するものも分析的でなければならないということになる.

非還元主義者の応答:規範の付随性が分析的であるということは,公理(axiom)として捉えればよく,定理(theorem)として捉える必要はない.そして,付随性の説明(なぜ道徳的性質・述語が付随性の制限に従うのかの説明)は分析的でなくてもいいし,ア・プリオリである必要もない.

Ridgeによる付随性からの論証:もし道徳的性質が自然的性質ではない独自のものであった場合,なぜ付随性を否定できないのか,説明し難い.自然的性質が同じであっても,道徳的性質は違う,という場合があってもよいのではないか(もし非還元主義が真であれば).*なぜ付随性が成り立つのか,という問いは別の問い.付随性は分析的な真理であるようにも見えるので,この問いに対して説明を与える必要はないかもしれない.ここで問題となっているのは,もし道徳的性質が非還元的であった場合,なぜ付随性が成り立つのか,ということ.

Shafer-Landauの返答(p. 77):Brinkと同じように道徳的性質の自然的性質による構成という考えに訴えて付随性の説明を試みる.

*Ridgeが述べる同一性と構成に関する重要な点:同一性はsymmetricだが,構成はasymmetric.このことを考えると,両者は違うものだと予想できる.

Ridge:ある性質の例化が他の性質の例化によって構成されるとは,どういう意味なのか,明確にする必要がある.そうでなければ,付随性という謎を,構成という新たな謎で説明するということになってしまう.

トロープ説の提案:ある道徳的性質の例化が他の自然的性質の例化によって構成されているというのは,全ての道徳的トロープは,他の自然的トロープの束によって構成されている,ということになる.ここでの構成の意味は部分的なものとしての意味(mereological).

この世界であるトロープの束Aが規範的性質を構成していたとしても,他の世界では規範的性質を構成していないことも考えられる.だから論理的にはトロープ説は付随性を含意しない.

ここでRidgeは付随性を説明するには他の補助的前提が必要になると述べる.RidgeはRobbがトロープ説により心的性質が物理的性質に付随することを説明している試みに注目する.Robbは,心的タイプは物理的タイプと同一ではないが,全ての心的トロープは物理的トロープであるとするトロープ一元論を提案する.その上で,次の2つの補助的前提を提案する.①もしx=yであれば,x=yは必然である.②もしあるトロープはFトロープであった場合,それは必然である.Robbはトロープ一元論とこの2つの前提から,付随性を導き出すことができるとする.トロープ一元論によると,どのような場合でも心的トロープがあるということは物理的トロープがあるということになる.このことと①から,どのような場合でも心的トロープがある場合に物理的トロープがあるということは必然である,ということになる.さらに,②により,そのトロープは必然的に同じ心的・物理的タイプのトロープということになる.

Shafer-LandauはRobbが言う2つの提案を受け入れれば,付随性を説明することができるように思える.ここでShafer-Landauが受け入れねばならない戦略とは,①同一性は必然であるとの想定(*一応,本の中ではShafer-Landauはこの問題について言及している.Shafer-Landauは,もし同一性が必然性を含むのであれば,多重実現を否定することになるから,ある道徳的事実とそれを構成する自然的事実が同一である,という主張は受け入れられないとする.だがそうでなければ,トークン同一説を受け入れることができるとする(p. 76n).)②あるトロープが他のトロープを構成するのであれば,その構成関係は必然.しかしRidgeはこの戦略を拒絶する.

Ridgeが提示する4つの問題:

1つ目の問題:2つ目の想定をなぜ受け入れなければならないのか.なぜあるトロープが他のトロープをこの世界で構成していたとしても,他の世界ではそのような構成関係が成り立たないと想定することはできないのか?(Robbのもともとの論証では,あるトロープがあるタイプのトロープであった場合,それは必然である,というもので,数的必然に関するものだった)

2つ目の問題:トロープ説や性質の例化という考えそのものが議論が分かれる考え.また,Shafer-Landauはある事実が理由であるという性質を持つという想定をしているため,性質の例化自体も性質を持つという,メタ性質的な想定もしなければならなくなる.

3つ目の問題:規範倫理のレベルで受け入れ難い想定をしなければならなくなる.伝統的に,非還元主義は規範倫理に関しては中立的な立場であると考えられてきた.むしろ,このことが非還元主義の理論的美徳の1つだった.だが,それが失われてしまう恐れがある.

Ridgeによると,Shafer-Landauによる付随性の説明は,規範倫理における一種の一元論を排除してしまうと言う.Ridgeの議論は次のような論証としてまとめられる.

①トロープ唯名論:性質は似たトロープの束でしかない.

②ある性質が規範的かそうでないかは,関係する似たトロープが規範的かそうでないかによる.

③非還元主義:規範的性質は自然的性質・記述的性質ではない.

④ある規範的性質を作る・構成するトロープは,自然的・記述的な視点から明らかな仕方では(salient),互いに似ることができない.

⑤これらの考えは,いくつかのタイプの規範的一元論と両立しない.

規範的一元論:ある一つのタイプの事実のみが行為の理由を構成する.そのような事実を構成するトロープは記述的な観点から見て重要な意味でお互いに似たものであり得る.

例:利己的な快楽主義を想定してみよう.それによると,もしそれが行為者自身の快楽を増幅させるというものである場合のみ,その事実は行為者にとって行為の理由である,ということになる.ある行為が持つ行為者自身の快楽を増幅させるという性質は,記述的な視点から見てとても明らかである.ということは,この性質を作るトロープも記述的な面から見て明確であるということになる.実際に,心理学においてはこの性質が想定されているが,これはこの性質が記述的な視点から見て明らかである証拠.このように考えてくると,快楽主義が真であった場合,規範的性質は記述的性質であるということになる.この結論は非還元主義と両立しない.

考えられる非還元主義者による応答:

①快楽主義はむしろ否定するべき

→再反論:快楽主義をメタ倫理的な議論だけで拒絶するというのは,未決問題論法に代表される非還元主義の考えとは両立しない.

②トロープ説を拒絶する

→再反論:トロープ説を否定するということは,普遍者を認めることになる.だが,そもそもそのような非自然的な普遍者を認めないために,Shafer-Landau(Parfitも)は古典的な強い非自然主義とは距離を保とうとしていた.だからこの反論も適切ではない.

4つ目の問題:Dancyが提案する理由の全体論を拒絶しなければならなくなる

トロープ説に訴えて付随性を説明する場合,あるトロープが規範的トロープを構成する場合,この構成は必然である,とされていた.この点は理由の全体論と両立しない.結果として,この説はRossのような規範理論としか両立しないということになる.