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Kamonoha World

日々の研究や日常の一部、読んだもののノート的なものです。メタ倫理学が中心です。

James Lenman. Reasons for Action: Justification vs. Explanation. Stanford Encyclopedia of Philosophy. (2009)

正当化のための理由と説明的理由は概念的に違うもの.ある行為を正当化する理由が,その行為がなぜなされたのか説明するとは限らない.また,ある行為が為された理由を説明するものが,その行為を正当化するかどうかもわからない.だから両者は別種のものだと直感的に理解することができる.

説明的理由を問う際の問いの仕方:どのような理由があったか,ではなく,行為者がその行為を行ったのはどのような理由だったのか,という問いの仕方.ここで問われている説明的理由は必ずしも行為者の意識下にあるものである必要はない(Smith 1994, p. 106).

しばしば説明的理由は意図的な行為に対して構成的(constitutive of)だと言われる.もしそうであるならば,もし行為と呼ばれるものがあったとしてそれを説明する理由がなかった場合,それは行為ではないということになる.

Williamsによる行為の理由の内在主義とそれに対する反論.たとえばParfitなどはWilliamsが動機的理由と規範的理由の区別を適切に行っていないと批判する(1997, 2007).

LenmanはWilliamsが以下のような正当化のための理由と説明的理由に関する考えを持っていたと解釈する(Williams 1980, p. 106).

もしRが正当化理由であった場合,Rは時によってはある行為者の行為の説明的理由である.

もしRが正当化理由であった場合,Rは時によってはある行為者の行為の説明的理由となり得る.

Lenmanは最初の主張は明らかに間違いであると考える.たとえば,ある化学的配合がある病気の特効薬を作り出す場合,我々はそのような行為を行う理由があるが(正当化理由?規範的理由?),まだそのような配合は見つかっていないので今のところ誰もその理由で行為したものはいない.*この主張に対していろいろ反論できる気もしてくる・・・.ここでそのような説明的理由を想定しないと,なぜ科学者がそのようなものを作り出そうとしているのか,説明できないということになるかもしれない.

Williamsの2番目の主張のための議論:もしRが行為者Aのための正当化理由であった場合,Aの現在の心的状態からRが説明するような行為を動機づけられる考察的な道筋(deliberative route)があった場合.

Lenmanの論争の評価:内在主義者が正当化理由と説明的理由の区別が出来ていないという反論は性急すぎる.むしろ,内座主義者は正当化理由を正しく理解するにはたとえばそれを一種の動機に結び付けなければ理解できないといった議論を展開していると理解するべき.

規範的理由に関する理論について:

正当化理由はしばしば規範的理由とも述べられる.どうもLenmanは両者は同じものだと考えている様子.

規範的理由の自然主義的な説:欲求説・ヒューム主義

欲求説と内在主義の違い:

欲求説:私の欲求に関することが私が持つ理由を決める,しかし,私の持つ理由によって,私の欲求が決まるわけではない.対称的な関係ではない.

欲求説は規範性・行為の理由を動機に訴えて自然主義的に説明できるという点で魅力的.しかし,全く違う欲求や心的状態を持っていた場合,奇妙な行為を行う理由が与えられてしまうという問題がある(Parfitなど).

行為の理由の非還元主義(Parfit, Dancy, Scanlon):行為の理由を他の概念によって分析する方法はどれも問題がある.Scanlonは,理由という考えは原初的なもの(primitive)だと考えている(1998, p. 17).

説明的理由,規範的理由,正当化理由などの言葉の用法については現代の行為論の議論の中でいろいろと議論がある.その中で,規範的理由と動機的理由の区別は,Smith, Dancy, Parfitらの影響もあり,ある程度広く認められている.Dancyは正当化理由よりも規範的理由という言葉を好んで用いている.これは,正当化理由という言葉が,行為者はそれをその行為を正当化するものだと信じて行為したが,実はそれが適切な正当化を与えない場合があること,そして,規範的理由が説明的理由の役割を果たす場合もあること,これらの理由から.

ところが,説明的・正当化の区別と,規範的・動機的の区別は,必ずしも完全に一致するものではない.

Smith:φをすることが自分にとって望ましい,との信念によって,φしたい,という欲求が出てくる.そして,ψすることがφのために必要だとの信念も持っている.このことから,φしたいという欲求と,ψすることがφするために必要だとの信念が,私がψすることを動機づけている動機的理由ということになる.

この説明の中で,Smithはφすることが望ましいという信念が,φしたいという欲求の原因であるとは考えている.そして,この欲求(φしたい)の合理化説明(rationalizing explanation)にはこの信念は入ってくる.だが,この信念そのものはこの欲求の動機づけはしないと考えている.

この点に関するSmithの議論:太郎がAを信じたのは,彼がBを信じていて,BがAを認識論的に支持するから.このプロセスは2つの信念間の関係だが,動機的関係ではない,合理的過程(rational process).だが,太郎が他の信念を持っていたことが,なぜ彼がAを信じたのか,説明はする.これと同じような仕方で,ある信念は(私にとってφすることは望ましいdesirable)説明的な役割は果たし得るが,動機付けは行なわない(Smith 1994, pp. 177-180).

このようなSmithの議論に対して,NormanやMcNaughtonらは反論している.

Smithの規範的・動機的理由の整理:規範的理由は真理.動機的理由は信念と欲求のペア.

DancyはSmithのこのような立場を心理主義として批判している.Dancyの反論は,Smithの説が,動機的理由・説明的理由を心的状態としている点.

Dancy:行為の理由とは,行為者がそれのために行為することができるもので,実際に行為者がそのような行為をした場合,その行為の説明に貢献するもの.

Ulrikeはこのような考えを理由の同一説として理解している.つまり,ある規範的理由のために行為をした場合,その規範的理由が説明的理由にもなる,という考え.

この考えの含意:良い理由,正しい理由に沿って為された行為を説明する理由と規範的理由は同一.

Dancyは,規範的理由は心的状態ではないと考えている.Dancyは規範的理由が説明的理由にもなるという考えを有しているから,状況によっては説明的理由も行為者の心的状態ではなく,その行為を正当化する事実であると考えている,ということになる.

Dancy的は反心理主義者の抱える問題:信念が偽であったときの行為をどのように説明するのか.太郎が不当に解雇されたという事実は,たしかに彼がなぜ抗議運動を行ったのか,説明し得る.しかし,もし太郎が正当な理由で解雇されていたが,彼が誤ってそれが不当であったと信じ,抗議運動を行った場合,彼の抗議運動の説明は彼の心的状態(誤った信念)に訴えざるをえないと思われる.

Dancyの応答(2000, pp. 131-133)もあるが,擁護は難しいかもしれない.