Kamonoha World

日々の研究や日常の一部、読んだもののノート的なものです。メタ倫理学が中心です。

Gillian Brock. Global Justice. Stanford Encyclopedia of Philosophy (2015)

世界正義論:Global Justice(日本ではやはり井上達夫の『世界正義論』か。押村の「国際正義」という言葉はinternational justiceということになるか)

これまでの正義論は(ロールズに代表されるように)主に国家内の正義に関する議論が多かった。しかし最近の20年で、国家内ではなく、国家間の正義について、かなり多くの議論がなされるようになってきた。

この話題は、古くは正義の名のもとの戦争(just war)を巡るものとしては、伝統的にあったもの。ただ、最近は戦争に関することだけではなく、グローバル化に伴う経済的な問題、環境問題なども、国家間の正義という観点から論じられている。

この分野では、ロールズの『人々の法』(Law of Peoples)が重要なもの。ロールズはこの著作の中でいくつかの異なる国際的な正義のモデルを検討している。その中で問題になるのは、国際的な行為を指導する原理は何か、国際的な貧困に対して我々はどのような責任を持っているのか、国際的な不平等は道徳的に問題があると言えるのか、自由主義を否定する人々を許容することはできるのか、どのような外交政策自由主義の価値と合致するものなのか、現実問題として国際的なユートピアを実現することは可能なのか、どのように世界の不正義をなくしていくことができるのか、これらの問いを考えるきっかけとなった。

ロールズの「人々の法」という考え:正しさと正義に関する政治的概念、国際的な法と実践(practice)の原理と規範に適応されるもの。また、ロールズはpeopleをnation(=同じ文化、歴史、伝統、感情等を共有する人々の集まり)とほぼ同義に使っている。

また、実際に国を超えた社会問題が増加したこと(移民の問題、民族浄化政策、大量虐殺、貧しい発展途上国への労働の依拠、テロリズムなど。このような問題が、哲学者たちが、「人道的な目的で他国に介入することは許されるのだろうか」といった問いを考えるきっかけになった。

また、この問題は国家主義(nationalism)を巡る問いにもつながってくる。関係する問いとして、どのような場合、ある国の自己決定は尊重されるべきなのか、国の自己決定が尊重されるべきでないような時もあるのか、といった問題。

これと関係する民主主義の問題。民主主義とはある国の中でだけ適応するものなのか。それとも、国家の枠組みを超えたところでも、民主主義は成立するのか。国家がなくなってしまったら、世界的正義といったものが可能になるのか。

internationalとglobalの違い。前者はあくまで国家を前提とするもの。後者は必ずしもそうではない。人々の正義の話。だからロールズの問題意識としては後者だったということ。この両者は問われていることの違いを明確にするもの。特に衝突するといったたぐいのものではない。たとえば、前者を前提にして、ある国が他の国に対してどのような義務を持っているのか、といったことを論じることができる。後者の問いを論じることで、私個人が広く国際社会に対してどのような責任を負っているのか、といったことを問題にできる。

ただ、世界正義が問題になるのは、ある国(state)にいる人や団体の活動や行為が他の国の人や活動に規範的に問題がある仕方で影響を与える場合。このような理解では、世界正義は国家を前提にしているということになる。ただ、これを国家に関する問題ではなく、地域に関する問題と考えてもよいのかもしれない。

世界正義に関する2つの考え:

ロールズ的な公平としての正義の拡大

②人間としての可能性(capability)や人権に訴える戦略

ロールズ自身は『人々の法』の中でいくつかの提案を行っている。

シンガーによる世界的な貧困の問題に関する議論:我々は様々な形で世界的不平等を是正することができる。

ポッギによる議論:我々自身がすでに世界的不平等に寄与してしまっている。ポッギはここから、国際秩序を改めないことは貧困国の人々の人権を阻害することになる、というところまで論じている。

貧困解消のための方法について:伝統的な方法は収入を上げることやGDPを指標にしていた。センやヌッスバウムはこれに対してcapability approachを主張する。

世界市民主義(cosmopolitanism)を巡る問い:我々は自国の国民に対してより大きな責任を負っているのだろうか。それとも、この世界で生きる全ての人に同じような義務を負っているのだろうか。

国家主義者の議論:この国は我々国民に対して重要な価値を提供している。このことを考えると、我々は自国に対して特別な義務を持っているように思え、そのことからさらに進んで、自国民に対して特別な義務があるように見える。

正義の戦争について:アリストテレスキケロ、アクイナスなど、昔から論じられている。

3つの問い:どのような場合に戦争が正当化されるか。戦争が起こった場合、どのようなことは許されるか、どのようなことは許されないか。戦争後にどのような処置が正当化されるか、賠償金は認められるか、どちらがどれほど復興費用を払うべきか、など。

戦争が正当化されるために、その戦争の原因が正しい因(just cause)でなければならないということはある程度同意されているが、その他の条件については意見が分かれている。例:正当な権威によって決定される、正しい意図によって行われる、それ以外に手段がない、最小限の手段にとどめる、など。

戦争中の原理に関して:兵士と市民の区別。どれほどの戦力を使うことが許されるか。

世界的経済的不正義:どのような経済体制が正当化できるのか。

世界的な性に関する正義:世界で共有されている女性に対する認識はどの部分は正当化でき、どの部分は正当化できないのか。ヌッスバウムのcapability approach。地域によって人間として認められるべき権利を多くの女性が否定されている、そしてそれは正当化できない、という議論。