Kamonoha World

日々の研究や日常の一部、読んだもののノート的なものです。メタ倫理学が中心です。

Avner de-Shalit. Philosophy Gone Urban. Journal of Social Philosophy (2003)

環境倫理を巡る議論の中で想定されている一つの考え:都市における生活、人生(urban life)は、田舎での生活や人生(life in the country)よりも、道徳的に劣っている。

これは実は聖書的な考えかもしれない。聖書では、都市の人々は道徳的に退廃していると描かれている。血の都市、都市の恐れ、殺人者の都市、などの表現。田舎出身の人々は道徳的に退廃していない人として描かれている。ソールやダビデはもともと田舎の羊飼い出身。

本論文のねらい:このような神話に基づいた都市への態度は正当化できるものではないが、ただ、都市よりも田舎での生活の方が道徳的に優れているという考え自体は検討の余地がありそう。

都市部が持つ特徴:①孤立(alienation)②手段化③個人主義④不正義

①孤立:ニューヨークの真ん中で知らない人に声をかけると、不審者に間違えられる可能性がある。田舎や地方ではそうでもないかもしれない。

②手段化:都市においては内在的に価値を持つものが手段化される、人間も含めて。住居を購入する際も、その住居を将来どのように売るべきか、ということを考えている。

個人主義:全てを受け入れるという気風では、他者のことを知ることができない。その町が人間に提供する良さといったものがわからない。ケンブリッジならばかくかくしかじかの気風、オックスフォードならばかくかくしかじかの気風、といったもの。

④不正義:地域主義者(ruralists)の主張、都市は不正義の源泉。さすがにこれは言い過ぎで、不正義の源泉となり得るものは都市そのものではなくてその都市で採用されている政治的状況や制度など。ただ、次のようなことは言える。つまり、都市部では明らかな不正義は、避けられないもの、もしくは、自然なこと、として、受け入れられてしまう、ということ。たとえば、ホームレスの人たちを見続けていると、それが自然なことになり、それほど気に留めなくなってしまう可能性がある。つまり、都市は不正義を助長するというよりも、人々を不正義に対して無関心にさせる、ということ。

これらの都市における問題は、我々がどのようなものを良い都市と見なすのか、知るのによい手がかりになる。都市の良さについて知らねば、どのような仕方での都市の保存や修繕が認められるものか、もしくは必要なものか、わからないから。

都市の良さを巡る2つの考え:

薄い良さ:全ての都市が持つべき特徴。市民に対して友好的である。コミュニティーの形成を助ける。子どもが安全に遊べる、など。

厚い良さ:その都市の物語によって得られるその都市が独自に持っている良さに関する考えがある。時代のトレンドを追い求める町や、伝統を重んじる町、など。電信柱を地中に埋めるか否かということも関係がありそう。

ある都市の修繕や保全を考える場合、その都市が持つ厚い良さに関する考えを参照する必要がある。厚い良さは、しばしば、都市を作った人たちの意図などによって表現される。

ここに自然の保全と都市の保全の違いが出る。自然の保全は基本的にはそのままの自然を残すというもの。その結果は人間の介入がミニマムになるというもの。都市はそもそもそのままということはない。基本的にいかに介入するか、ということになる。また、ある都市がそれだけで成り立つということはまずない。その都市は他の地域との関係によって成り立っている。*京都と琵琶湖など・・・。

このように考えてくると、都市の保全とは、現在ある建物をただ修繕するということだけではなく、その建物がどのような意図、背景のもと建てられたのか、考慮して行う必要があるということになる。

過去の都市設計者たちの意図に対して現在の都市に生きる我々がどれほどの義務を負っているのか:現在住む人、そして未来に住む人たちのことを考えれば、それほど問題はない。全ての世代のバランスをとればよい、ということ。

*ただ、都市設計において、いわゆる厚い考えを重視するのであれば、過去世代の考えに何らかの優先権を与えざるを得ないのではないか?

*都市は人間に質の良い生活を与えることをその目的の一つとしているはず、という考え。安全性、コミニティー、自尊、幸福感、適切な住居、栄養、健康、教育への機会、娯楽、文化的発展、など。

ある古い建物を保存するか否かという問いは、それがその都市が特有に提供すると思われる良い生活に貢献するか否かという観点から問われるべき。

*Jameisonの1983年の論文は未だに有効だと思われる。この論文で述べられている反論に応えきることができているのだろうか?Jameisonは、ある建物を保存するべきであるのは、それが現在生きる我々にとって良いから、という場合のみ、との議論を展開している。

ナチスによって支配されていたベルリンが、ナチス時代の遺産を捨て去り、国際都市への道を歩んでいること:過去の考えが必ずしも良いというわけではもちろんない。過去の都市がより良い生活の質を保証するということはない。