Kamonoha World

日々の研究や日常の一部、読んだもののノート的なものです。メタ倫理学が中心です。

W. Wu. Mental Action and the Threat of Automacity. (2013)

Schneider & Shiffrinによる自動的過程(automatic process)に関する研究(1977):自動的過程は,主観(subject)による能動的な制御(contoroll)や注意の介在なしで起こる(activated).一方で,制御的過程は,そのような制御や注意を介在にして起こる.ここで言うところの制御とは,注意の方向性を意味する.

だが,このような単純な理論は,さらに複雑化していく.

Barghによる自動性(automaticity)の4つ条件(1994):①非意図的(unintentional),②自覚外で起こる(occur outside awareness),③制御不能,④注意を引き起こすのに十分.この4つの条件の問題は,典型的に自動性を持つと思われている現象が,これらの4つの条件を満たさないこと.ShiffrinやPalmeriなどもBarghに似た提案を行っている.

なぜこのように複雑なものになっていったのか.Gordonによると(1988),当初,自動的過程は注意に関わらないものだという予測があった.しかし,典型的な自動的過程は実は注意の影響を受けていることが,経験的な探求にわかってきた.そのため,自動的過程の理論は複雑なものになっていった.

心的行為について:心的現象が行為に分類されないのは,それが自動的に起こっているように思えるから.社会心理学者は意図についてすら,準備され反射(prepared reflex)だとしている(Hommel 2000).

Strawsonの議論を,心的行為とされるものは,全て自動的に起こるものである,というものだと理解.

Strawsonの想定:もしxが自動的に起こった場合、xは制御されているものではない.これは、過去に心理学で想定されていた単純な想定。

Strawsonの議論は物理的な行為にも拡張されてしまう。①人間の活動における自動性の存在、②行為と制御の概念的な関係、③自動性と制御は相いれないという考え、この3つから、そもそも物理的な行為もなくなってしまう。

心的行為の多くは記憶に基づくもの。ただ、記憶といっても、全ての記憶を呼び覚ますことはできないから、ある一部の記憶だけを呼び起こしていることになる。では、一体どのように記憶の選択をしているのか。どのようにある特定の記憶だけが呼び起こされるのか。数学部生の事例。数学部生は様々な数学の定理、公理を知っている。だが、テストではそれぞれの問題に特化した定理・公理を思い出して問題を解いていく。全ての数学の定理・公理を思い出すわけではない。また、思い出された定理・公理を使って、様々な行為を行うことができるが、その中のどの行為を行うのか選ばなければならない(the Many-Many problem)。この選択が行為になるには、選択内容は行為者の意図と一貫性のあるものでなければならない。

認知的注意:知覚的注意とは違い、認知的注意は、注意と注意が向けられたものは同時には起こらない。全ての心的行為はこのような認知的注意の例と考えることができる。

Wuの提案:ある現象は自動的でありかつ制御されているということが有り得る。

ピアノなどの例:ある一定の自動性を求めて練習する。頭の中で何かを表象することなく、体が勝手に動くようにしたい。つまり、一定の制御を辞めることを目指しているということ。

片足だけでたっている象を想像しろ、と言われた場合、ある形の象を想像すると思われるが、ここで出てくる象の形は、単に心に与えられるもの。だからといって、心的内容が決まっている想像が行為ではないとは言えない。このような想像を行う場合でも、認知的注意は伴う(the Many Many problemの解決を伴う)。

Fodorが言うように、たしかに我々の心的側面は自由を持つ。それは、ある記憶に基づいて様々な行為を行うことができ、どの行為を選ぶかは自分で決めることができる、ということ。一方で、Strawsonが言うように、心的内容についてなど、様々に自分では制御できない部分もある。