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Kamonoha World

日々の研究や日常の一部、読んだもののノート的なものです。メタ倫理学が中心です。

Steiner,H. Moral Rights in Copp,D (ed.) Oxford Handbook of Ethical Theory

道徳において権利がどのような位置を占めるのかという問い。伝統的な帰結主義、義務論において、権利は根源的なものと見なされてこなかった。

Benthamによる自然権の重要性の否定:いわゆるnonsense on stilts大言壮語の上のナンセンス

→このことから考えると、権利についての言語の論理は法的な規則や法体系の設計を記述するためのものでしかないということになる(460)。

道徳的権利についての理論は、基礎的な法的規則がどのようなものであるべきかということについての理論ということになる(460)。道徳的権利は正義に関する理論ということでもある。法律が問題があるということになるのは、それが道徳手権利を守ることに失敗している、という場合が多い。

権利を巡る問いのいくつかの段階:①権利についての論理的な構造、②権利の内容について、③道徳的思考における権利の地位・位置

(ホーフェルドによる権利概念の分析を用いたAn Essay on Rightsとほぼ同様の議論)

権利による義務の持つ特徴:選択によってそれらの義務が変更されたり、または強制されたりすること。無権限、免除の関係があるということ。そして、ある権限を放棄することもできる場合がある。

中世から続く論争としての利益説と意志説の争い(463)

利益説:ある義務が他者の請求を含意している、つまり、権利関係が生じているのは、次の場合、かつ、この場合のみである、即ち、その義務が果たされることが、請求権を持つ人の重要な利益に資する場合。

選択説:権利関係が生じているのは(義務が請求権を含意している場合)、請求権を持つ人がその権利を制御する力を持つ場合、その権利を放棄したり、運用したりできる場合。

それぞれの立場が含意するもの(464):

意志説によると、権利を保持するものは、その権利を行使できる力を持たねばならないということになる。このことから、そのような権利の保持者は道徳的行為者(moral agency)ということになる。このことが含意することは、権利の保持者は基本的には成人の人間であるということ。

利益説によると、利益を持てるもの全てが権利を持てるということになるので、たとえば生まれる前の受精卵、死者、人間でない生物、未来世代など、様々な存在が利益の保持者であると考えることができる。

→意志説の擁護者は、これらの存在の利益についての義務を制御できるのは現在生きている成人の人間であるから、

利益説と意志説の論争が持つ含意:未来世代の権利を守るために自然環境を守る、という発想は、未来世代が権利の保持者であることができる場合、つまり、利益説が真でなければならない。積極的安楽死の是非を巡っては、意志説が正しいとすると、殺されない権利を放棄することができるので、権利の侵害にはならないが、もし権利が放棄できないものであった場合、安楽死は権利の侵害ということになる(464)。

危険な活動についての議論も関係がある(465)。

不可譲の権利についても(465)。意志説は不可譲の権利を受け入れることはできない。では、利益説は受け入れることができるのだろうか?この点については、そもそも不可譲の権利なるものがどのようなことを含意しているのか、考えなければならない。

 道徳的衝突について:特に道徳的権利は衝突しないことが求められるものだと考えられている。それは、法についての強制力が他の考慮に勝っていることに現れているように、もし義務に関する衝突があったとして、そこで優先されるのは権利についての義務であると考えれれるから。ドォーキンのトランプの比喩(466)。

このことから、Mackieが主張したような、権利による基礎づけ主義が出てくるわけではない。そうではなく、道徳についての多元論が出てくる。その中で正義や道徳的権利についての規範は一部。その中でも、正義の要求や道徳的権利の要求は優先的な地位を占めているということ。もし異なる規範の要求が衝突した場合、道徳的権利の要求が常に優先されるということ。

このような想定に対して反論がないわけではないが、このような想定によって、たとえば、我々は悪いことをする権利がある、というようなことも言えることになる。つまり、権利が他の道徳的な考慮に勝るということ(467)。

また、何かについて議論をしている時に、その議論の結論を決定する権利の保持者にに言及するのは、様々な議論を尽くした後。それは、このような権利に訴えることが、最終的に議論を決するという想定があるということ。新聞社の事例(467-8)。

権利同士の衝突について:権利同士が衝突しないものになるためには、ある権利の集合にはどのような特徴があればよいのだろうか?(469)

物理的に衝突しない義務の要求→権利保持者が独自の領域を占める、ロック的な所有権が、権利の本質ということになる→衝突しない権利しか制御できないから、このような考えは意志説と相性があいそう。

このことを考えると、意志説の方が利益説よりも見込みがある。というのも、もし権利を利益という観点から考えるならば、権利の衝突は避けられないから。権利が衝突した場合、他の道徳的考慮に訴えて事態を解決せざるを得なくなり、道徳優位テーゼを放棄することになる(470)。

権利の強制力:権利が法の基準であることから以下のことが容易に予想される。即ち、権利に関連した義務が果たされないことを強制的に防ぐことが許容されるということ(470)。

問題になるケース:このような意味での強制が、他の権利を侵害する場合。SenとNozickの論争、Senはこのようなケースを考える場合はどちらの結果がよりましか考察せざるを得ないから、帰結主義にならざるを得ないと主張する(電話を独占する権利と殺されない権利の衝突)。一方で、NozickやKammはこのような権利の理解は、権利に訴える形でカント的な個人が単なる目的の手段として扱われないという原理を表現することができなくなってしまうと主張する。

Steiner自身は多元主義的な道徳理論の観点にたってしまえばこの2つの考えにそれほど大きな隔たりはないと考えている様子。

消極的・積極的権利(472):何かを積極的に行なう権利と、何かをされない権利(何かを行なってはならない義務)→どのような権利についての理論もどちらも許容すると思われる。論争になる点は、どちらがより基礎的か、どちらがより優先されるのか、という点。しばしば議論の的になるのは、消極的な義務・権利のみがより基礎的なものであるか否かという点。

リバタリアン的な理論や人権を重視するタイプの理論は積極的な権利も認めがち(474)。