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Kamonoha World

日々の研究や日常の一部、読んだもののノート的なものです。メタ倫理学が中心です。

Steiner, H. An Essay on Rights、第3章 'Rights'

何が権利か、という問い、そして、それは権利であるのか、他の道徳的な価値なのか、という問い。

なぜ後者が問題になるのか?(p. 56)

→道徳的なものとは何か、ということが問いであった場合、特に問題にはならない。しかし、ある道徳的なものを、他の道徳的なものを犠牲にすることができるのかということが問題になった場合、考えなければならない。

権利の行使可能性を巡る問いが、権利を巡る意思説もしくは選択説と利益説の論争(p.57)。

選択説:HartのBentham on Legal RightsやAre There any Natural Rights?

利益説:RazのOn the Nature of Rights, The Morality of Freedom, MacCormickのRights in Legislation、LyonsのRights, Claimants and Beneficiaries。

選択説:その人の選択が、他者の行為を制限したり、しなかったりすることの、必要十分条件である場合 

利益説:他者の行為の制限、非制限は、選択によるものではなく、問題になる人の利益に連動する

利益説は、たとえば権利が行使できない場合でも権利が発生している場合があるとするが、選択説はそのような見解はとらない。

ホーフィールドによる「権利」という言葉によって示される法的地位の4つの分類:請求権(claim)、自由(liberty)、権限(power)、免除(immunity)

選択説:もし何かが請求権もしくは免除権であって、かつ、それに対応する行為への制約を撤回する権限と強制する権限のどちらも持っているのでれば、それは権利である。

権利の行使について:たしかに百科事典を持つ権利、つまり自由、を我々は有しているが、我々には他の義務が課されていて(子育てなど)、実際にそのような自由を行使することは非常に困難な状態にあると言えるかもしれない(75)。

約束から権利が生まれるということ:このことを説明するためには、権利についての本性を考えればよい、倫理的、メタ倫理的な主張を考察する必要はない(76)。

共存不可能な権利・共存不可能な義務(80):どのように行為しても、その行為が許されるものでも許されないものでもあるということになってしまう(81)。

どのように対処するべきか:(1)そもそも権利・義務なるものを排除して、ホッブズ的などのような行為も許される自然状態を受け入れる(82)→このような対処が悪いということは、道徳的な理由に訴えなければならない(82)。

場面の整理:A、B、C、そして裁判官。BとCはAに対してそれぞれ以下のような権利を持っている、B「(Aが)花を届ける」、C「(Aが)車を返す」、想定は花を届けるためには車を返さない必要がある、このことから、どちらも行うことはできない、ということになる(84-85)。どちらかを果たすことができなかった場合、Aは罰せられるのだろうか。少なくとも、Aの行いは悪い、非難に値するものになるのだろうか。Aはどちらも行うことができなかった、ということは、ought implies canを侵害しているということになり、むしろ彼は非難されないのではないか、という問い(85)。

認識論的な問いではない(86)、そもそも、ここで問われている(権利に関連する)義務の共存可能性について問うてみる必要がある

義務の共存可能性について問う場合、裸の自由についての議論をする必要がある、ある義務が裸の自由であった場合、その自由は他の人の権利の行使によって阻害される可能性があるから(87)

権利の共存可能性を求める理由:裁判官を悪夢から救うため、権利が共存可能であるとはどのような事態か知るため(88)

*そもそもなぜこのような想定をする必要があるのか、権利以外の何か他の考慮に訴えるということも考えられる、権利が衝突するものであるならば。ここで想定されているのは、いわゆる、権利の道徳的優先性のテーゼ?

裸の自由が許容する行為が共存するということはない、2人の人が異なる義務を果たすために同時に同じタクシーを必要とする事例、など(89)。服を着た自由に対応する義務のみが共存可能であり、それに対応する権利が共存可能なものということになる。

服を着た自由の集合をそれぞれの個人の「領域(domain)」と呼ぶ(90)。この領域にどのような権利の要素があるのか探究することで、権利の共存可能性の内実を明らかにすることができる。

2つの行為の妨害関係:指示対象的記述(extensional descriptions)・物理的構成要素が、部分的にでも合致する場合(91)。→Aがφする服を着た自由があるならば、AにはBにAがφすることを妨げるψをさせない権利がある、ということになり、AにはBにφとかさなるψの物理的構成要素を所有させない権利がある、ということになる。

→つまり、Aはφという行為の物理的構成要素に対する権利、一種の所有権を持つ、ということになる(91)。

利益説への反論:利益説をとった場合、権利が衝突する場合が想定されるので、権利が共存不可能なものであるという結論になる(92)。

権利が本質的に所有権であるというロック的な考え(93):これは重要な概念的真理(conceptual truth)。

疑問:花を届けさせる権利を、一種の所有権だと考えることは、さすがに通常の権利という言葉の用法からは離れるのではないか?(93)

共存可能な権利の集合における権利は全て所有権、花を届けさせる権利は、花を届ける義務を負っている人を、やはりある意味で、所有している、ということになる(95)。

→物権(rifhts in rem)と対人的権利(rights in personam)の区別への疑義、ホーフェルド流の、前者を対多数に対する権利と見なし、後者を対少数に対する権利と見なす戦略

このような考えを持つ動機:明晰さと知的経済性(clarity and intellectual economy)、全ての権利を統合的に理解できる概念的枠組みを確保するため(95)、そして、全ての権利には誰かが他の誰かに対して負う義務が対応するはずだから。

所有権を完全に自由主義的に解釈[AがBを所有しているのであれば、AはBについて完全な自由を持っている、たとえば、Bを破壊したり、管理したり、譲渡したり、など]する必要がないこと、AのBに対する物理的構成要素に関しての権利であるということで十分(98--99)

概念的な記述しか与えられていない場合、共存不可能な行為が要求される可能性があること(100)、概念的な記述は指示対象的な記述と置き換えられるようなものでなければならない(100-101)。

権利は行使可能であるということは概念的事実(conceptual fact)(103)

共存可能性の歴史的側面(103)、来歴(104)、原初の所有権(107)(この問いについては正義についての理論に訴えることで答えを出すことができる)