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Kamonoha World

日々の研究や日常の一部、読んだもののノート的なものです。メタ倫理学が中心です。

Stathis Psillos Causation and Explanation (2002) Chapter 5 The regularity view of laws

ヒューム的な因果説から導き出されること:自然界に規則性があるということ。あるタイプの出来事とあるタイプの出来事の間に一定の規則性が存在するということ (137)。

規則性説の問題点:全ての規則性が因果的な規則性ではないはず。このことから考えると、規則性説を擁護するためには、どのような規則性が因果的な規則性なのか、明確にする必要があるということになる。

一つの戦略:因果の法則は自然の法則(the laws of nature)であると主張すること。自然の法則と偶然的に真である一般化

論争の整理:自然法が規則性であるか否かという問題。因果の関係が異なるタイプの出来事の間の規則性であるかという問題。両者は独立した問題。偶然の規則性と偶然でない規則性を区別するにあたり、非ヒューム的な考えに訴えざるを得なくなるか否かが論争のポイントの一つ。

ヒューム主義が訴えられないもの:自然の中に存在する必然関係と偶然関係の区別。前者を否定しているから、前者に訴えて後者と区別することができない。

ヒューム主義者による法則の解釈:ある一定の重力の下に置かれていた場合、鉄は熱すると膨張する→この世界には、もし鉄が熱せられたら、その鉄は膨張するという規則性がある。だが、ここに必然性はない。

つまり、ヒューム主義者は法則が必然であると主張することができない。だが、たまたま成り立っている偶然と法則の違いはあるように思える。→法則とは規則性+何か

単純な説:全てのFsはGsであるは法則であるのは全てのFsがGsでありかつその場合のみ(論理実証主義者)。

問題点:次の二つの文はどちらも真であり、上の定式を満たしている。しかし、一方のみが法則のように見える。

「ロンドンにある全ての飲み屋では生ビールを提供する」「全ての鉄は電気を伝える」、ただ、両者の間にはかなり多くの差異があるように思える、前者はある一地域のことだけを指しているが、後者は全ての鉄を問題にしていること、後者は自然種をさしているが後者はそうではないこと、など(140)。

これらの考慮を入れたものを自然法とすることも難しい。自然法と思われるものの中には限られた範囲のみで成り立っているものもある。この銀河系の星の動きについての法則など(ケプラーの第一法則)(140)。また、これらを満たしたとしても、自然の法則とは呼べないようなものもある。全ての水素原子はある一定の質量よりも少ない。これは上記の条件を満たしてはいるが、自然の法則とはいえないだろう。

 認論的な特徴づけ(141):適切な帰納的推論において扱うことができるようなもの。単にこの規則性を成り立たせるような例があるということではなく、この一般化が科学の演繹的な体系の一部として機能を果たしているような場合。

例:「全てのヒトはいつかは死ぬ」→実際にこれまでに見られたヒトが死んでいるだけでは足りない。たとえばこれが、「全ての動物はいつかは死ぬ」「ヒトは動物の一種である」などの、関連する科学的な規則の一般化と関連している場合、自然の法則と呼ぶことができる。もしくは、その一般的な法則を使ってさらなる他の知識を知ろうと意志することができるようなもの(Ayer, p. 142)。それが予測に使われる場合、法則と呼ぶことができる(Goodman, p. 142)。

認識的な特徴づけの問題:あまりにも主観的すぎる?ニュートンの第一法(全ての物体は、外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続ける)のような、実際にこの世界で起こらないような、そして、それが予測に使われないようなものを、法則とみなすことができなくなってしまう。

Goodmanによる反論(p. 144):まだ検証されていないエメラルドについて、grueを使うことはできない。一方で、自然種のタームであるgreenはプロジェクタブル。

様相モデル:自然の法則は現に成り立っている事柄に関するだけのものではない。まだ成り立っていないものについても何らかの情報を提供するようなもの(p. 145)。→自然の法則は反事実条件文を支持するが、たんなる偶然の規則性はそれができない。「もしこの鉄が熱せられたら、この鉄は膨張するだろう」は真であるように思える一方、「もしこのりんごがくだものかごにいれられていたならば、このりんごは熟れたものになっていただろう」が真になるとは思えない。

様相モデルを擁護するためには、反事実条件文の意味論を持たねばならない。だが、法則という概念に訴えることなくこのことを達成することは難問。

web of laws アプローチ:ある規則性が法則であるのは、それが整合的な規則性の集合に含まれる場合。その整合的な規則性の集合はある一定の説明力(単純性など)を持っている必要がある(149)。→最終的にはわれわれの認識的な状況に依拠した形で法則を理解することになってしまう?法則は世界に存在しているものではない?(152)反事実条件文を真にするものは世界に存在する法則であり規則性が他の規則性との間に持つ関係ではないのではないか?(156)